1月
19th
木
19th
どうして、アダムは妻のことを「すべていのちある者の母」と名づけることができたのでしょうか。不思議です。前の文脈をたどるとき、その理由はただひとつしか見当たりません。それは、神がへびに向かって語られた、「わたしは、おまえと女との間に、また、おまえの子孫と女の子孫との間に、敵意を置く。彼は、おまえの頭を踏み砕き、おまえは、彼のかかとにかみつく。」(創世記3:15)ということばです。死をもたらしたへびのあたまを打ち砕くいのちの君の到来が告げられているこの一節です。
アダムは蛇に向かって語られる神の呪いのことばのうちに、いのちの君である「女の子孫」が蛇のすえを打ち砕いて勝利をもたらし、いのちをもたらす日が来るのだという約束を聞き取って、その約束を固く信じたとしか考えられません。だからこそ、アダムは妻をエバ「すべていのちある者の母」と名づけることができたのでしょう。
こうして見ると、確かにアダムにあって人類に罪と死が入ってきたのですが、また同時に、アダムにあって、来るべきメシヤの到来を信じる信仰というものも始まったと理解することができます。信仰によって、アダムは死の中に生命を見出しました。また、夫からエバと名づけられた女は、この時どれほど慰めを得たことでしょうか。神の約束をかたく握る信仰は闇の中に光を、絶望の中に希望を見出すことができるのです。